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第71号「暮れの一息」平成17年12月
第70号「おだやかにやり過ごす」平成17年11
第69号「こういう人間に、ワタシハナリタイ!」平成17年10
第68号「神様からの贈り物」平成17年9
第67号「私たちは、いつも快適な場所にいる」平成17年8
第66号「幸せに生きる為に」平成17年7月

第65号「私の信じている事」平成17年6月

第64号「両親の思い」平成17年5月

第63号「一つの発見」平成17年4月

第62号「真っ白な灰になる!」平成17年3月

第61号「私の『一灯』」平成17年2月

第60号「心に決めた夢」平成17年1月





「暮れの一息」


暮れのお忙しいところ 恐縮ですが
     息を吸って 止めて・・・  ゆっくり 吐いて・・・
     息を吸って 止めて・・・   ゆっくり 吐いて・・・
       「 フウーッ・・・!」

 ひとつ、変な事を お聞きしていいですか?

 あなたはこの一年、あんな人になりたい、あんな人になれたら、1日1日が充実して
 楽しいだろうなと、思われた事はなかったでしょうか?
        「・・・・・・・?」
 あんな人になれたらと、思った人はどんな人でしたか?
        「・・・・・・・?」 
 あんな人に一遍になれなくても、今、なれそうな部分はどんな所ですか?
 少し努力すれば、手に届きそうな部分はどんな所ですか?
        「・・・・・・・?」
 あんな人になれたら、あなたの人生はどうなりますか?
         「・・・・・・・?」 
 あっという間の、この一年。
 あなたは、なりたい自分になるためにどんな努力をされましたか?
        「・・・・・・・?」

     この一年 ありがとうございました。

平成17年 暮れ

 

 

 

 

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「おだやかにやり過ごす」


  最近、強く感じる事があります。
年を重ねる毎に、身体の動きがにぶくなっている事に気付かされます。
それに引き替え、心の動きは敏感(頑固?)になってきているようです。
  このまま放っておくと、身体と心のアンバランスが、日々の生活に色々な障害を起こしてしまうような気がします。

  私は今まで、感動する事を人生のエネルギー源として生きてきました。
喜怒哀楽を敏感に感じ取り、大いに喜び大いに傷ついて人生を謳歌してきました。 
  しかし、体力が落ちてきた今、心の振幅をコントロールしないと、最後には自分の人生を壊してしまうような気がします。
  ゴルフで絶妙なバーデイを取って意気込んだ後、ダブルボギーを叩いてゲームを壊してしまうようなものです。心の揺れが、ゲームを壊してしまうのです。
 
  今年の夏、ホールインワンを体験した時の事を思い出します。
その時の悦びは、烈しいものではなく、温かいものにゆっくりと包まれるようなおだやかなものでした。その日は、その後のショットも不思議と動揺することなく、実力に応じたプレーが出来ました。
  あの体験は、心をおだやかに保つ事の大切さを教えてくれました。
 
  日々の生活の中で、心の感じ方を少しおだやかにしようと思います。
その結果、うれしい事の感じ方が弱くなるかも知れませんが、動揺してゲームを壊すリスクが少なくなるのであれば、変えていこうと思います。
  派手なガッツポーズが消える代わりに、不本意な出来事をおだやかにやり過ごし、次の最善の手を打てる可能性が高まるのであれば、喜んで転換しようと思います。 
  不本意な出来事にふてくされて生きるには、人生はあまりにも長く苦しいですから。

  世のしがらみやせつなさにくじけませんように、分相応の人生を全う出来ますように、
喜怒哀楽の感度をワンランク落として、おだやかにやり過ごして生きていこうと思います。 







平成17年11月

 

 

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「こういう人間に、ワタシハナリタイ!」



この1ヶ月の体験を通して、遅らばせながら大切な事が一つ分かりました。
どんなに優秀な人でも、不安無しには生きられないという当然の事が改めて分かりました。
分かったお陰で何かが欠落している私なんかは、不安になって当たり前なんだと胸を張りたくなる気分です。自分だけが不安になるのではないと実感した事は、凄い発見でした。

  誰しも、問題を抱えて不安に駆られると、自責の念で自分を傷つけたり、責任転嫁して他人を傷つけてしまいがちです。不安になる自分へのコンプレックスが、人や自分を傷つけるのでしょう。その最たるものが、自分の未熟さを恨んだり、うまくいっている人を妬んだりという行動として表れます。そして、不安を弱めようとして自分の力を誇示したり、人からの承認を求め続けて、ますます不安の真っ只中に落ち込んでしまいます。
この時、人は自己否定の自信喪失の状態に落ち込んでいるのでしょう。  
  ここから脱出するには、不完全な人間だもの不安になるのが当たり前と考え、今の自分が出来る精一杯をするのが一番です。今の自分が出来る事をコツコツやっていると、結果がどうあれ自分のした事を受け入れ、自己承認のサイクルへ入っていきます。

  笑われるかも知れませんが、一つの例として私のパター練習をお伝えします。
今の私にはゴルフの実力を上げる為、毎日練習場やコースでボールを打つ事は出来ません。しかし、仕事で疲れて帰ってきてもパターの練習をする位の気力・体力は残っています。
毎朝毎晩、練習マットのカップに年間10万回以上ボールを打ち込んでいます。
 競技中にパターを構え不安がよぎった時、精一杯練習した自分を信じて狙ったラインにパットするだけです。だからといってパットが思い通りに決まるわけでもありません。
精一杯やった結果を否定しても仕方がないので、今の実力と静かに受け入れるだけです。(それでも時々、自分のふがいなさに腹を立てる事はあります)
 
  このように全てを受容できるレベルではありませんが、人一倍努力しても思い通りにならなかった時の心のありようが、少しずつ変化してきているのを実感しています。
今、この変化をなによりうれしく思います。   
  「人に自分の力を証明する必要もなく、人から承認してもらう必要もない。
  ただ、自ら信ずる所を行う」。こういう人間に、ワタシハナリタイ! 


 



  
平成17年10月







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「神様からの贈り物」


  今年の夏、夢にも思わなかったハワイのワイアラエCCへの特別招待を頂きました。
30数年前に、ワイアラエCCを舞台にした番組が月1,2回放映されていました。
世の中にはこのように美しい所があるのかと、感嘆して見ていた事が昨日の事のように思い出されます。毎年、世界の一流プレーヤーが出場するソニーオープンが開催される名門コースです。そこで、プレー出来るなんて願いも期待もしていませんでした。
 
  8月24日午前7時30分、クラブメンバーのステイーブ氏の同伴でアウトスタート。
とにかく美しいコースで、周りを見渡し何度も何度もため息をつきながら、まさに天国にいる気分でプレーしました。アウトのロング9番は83年に、青木プロがセカンドショットを直接カップインし、米ツアー逆転初優勝したホールです。

  アウトを午前9時頃終了し、インに入ってからはボギーの連続です。
パーを逃した瞬間は悔しい思いもしますが、うれしくてうれしくてたまりません。
 昨年のソニーオープンで、丸山プロがホールインワンした16番ホールにやってきました。154ヤード、ハワイ特有の強いアゲンストの風。グリーンサイドは5つのバンカーにガードされ、花道はほとんど無し。ピンポジションは手前。ステイーブ氏から、強いアゲンストなので175ヤードぐらいのつもりで打つようにとアドバイスを受ける。

  5番アイアンを取り出し、テイーショットする。
インパクトの瞬間は、少し薄く当たったような柔らかい感触でした。
ショートして、手前のバンカーかと思いました。しかし、アゲンストの風の中をボールはゾーンの中を突き進むようにピンに一直線に向かい、ピン手前1メートル弱の所にオンして,スルスルとカップインして消えました。時に、午前10時10分。
願いも期待もしていなかった凄い事が、重ねて起きました。
  私の人生の中で、数少ない神の存在を感じた一瞬でした。
 
  35年間、何百ラウンドした事でしょう。自分には一生無いものと思っていました。
この一年、ゴルフがボロボロの状態で泥沼の中を這いずり回っていました。それでも、毎朝のトレーニングと夜の素振りは欠かさず。酒タバコをやめゴルフを大切にしてきました。
  そんな私に神様は突然、素敵なプレゼントをして下さいました。
私はあるがまま、そのまんまに「有り難い事」を静かにお受け致しました。
緑の風に包まれながら、「ありがとうございます」とつぶやいた瞬間を忘れないでしょう。














平成17年9月







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「私たちは、いつも最適な場所にいる」


私は最近、ちょっとうれしい体験をしています。
私が所属するゴルフクラブの玄関に、スーツ姿がお似合いの初老の紳士お二人がいます。
いつも穏やかな笑顔で歩み寄り、車のトランクからゴルフバッグを出し、所定のところに運んで頂けます。銀行を退職されて、今の仕事に再就職されたそうです。
以前とは全く違うお立場だと思いますが、いつもさわやかな笑顔で挨拶をして頂けます。
  幸せに生きるヒントを、お二人から身を挺して教えて頂いているようです。
 
  ある駐車場の管理人のおじさんの話を思い出します。
そのおじさんは大手企業で働き、定年になって退社し駐車場の管理人になったそうです。
そのおじさんは車を止めに来る人達に、いつも明るい笑顔で挨拶をしてくれたそうです。
  ある雨の日、車を止めにきて傘を忘れてどうしたものかと考えている人に、「傘を忘れたんなら、これを持って行きなよ」と、自分がさしている傘を差し出したそうです。        
  「今日の帰りは遅くなるから、おじさんのいる時間に返せないよ」                
  「いいんだよ。私の事はどうでもいいから持って行きなよ」
管理人のおじさんは、いつもこんな調子だったそうです。
 
  そんなある日、おじさんは管理人を辞めることになりました。奥さんが胸を悪くしたので、空気のきれいなところで暮らさなければならなくなったためです。
その駐車場に車を止めていた人達は皆、何とも言えぬ寂しさを覚えたそうです。

  今日が最後という日に、みんなはびっくりするような光景を目にしました。
管理人室は駐車場の隅っこにあって、やっと二人が入れるくらいのプレハブです。
そのプレハブの管理人室は、花束で一杯になっていました。
さらに置ききれなくなった手みやげが、ドアの外に高く積まれてあったそうです。
 おじさんの最後の言葉は、「私はこの仕事をして、毎日が楽しくとても幸せでしたよ」

  おじさんは再び職を失い、体の弱い奥さんを持った事を不幸とは思わないのでしょう。
きっと、空気のきれいな所で職を得て、奥さんをいたわりながら幸せに暮らす事でしょう。
どんな立場に立たされようと、「私たちは、幸せに生きる最適な場所」にいる好例です。
 自分の心を粘り強くコントロールし、あるがままに受容する穏やかな心を育んでいく事は、人が幸せに生きるために欠かせない事なのでしょう。

                           





平成17年8月





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「幸せに生きる為に」


先日、ある病院の院長先生と、ある会合で同席しました。
(2ヶ月程前に、テレビでも特集されていた大病院の理事長さんです)
その先生とここ数年、同じ役職をしている身近さもあり、一つ質問をしました。
「大成功されて、今、お持ちになられている夢はなんですか?」と。
「成功なんてとんでもないですよ!」と、真顔でおっしゃいました。
確かにその会合は、大病院の理事長さん達の会合でしたから、テレビで特集された位では、その人達と比較して大成功と思いにくいのかも知れません。上には上があるものです。

  「もうこの年寄りに、夢なんてありませんよ・・・」と、少し寂しそうに言われた後、
しばらく考えられて、
「しかし、出来ればゴルフのスコアーが1つか2つ良くなることでしょうか。」
その時の横顔が、一転してうれしそうに輝いていたことが印象的でした。
  若い時に人生を左右するほどの大きな夢を持ち、気力体力が落ちてきた年齢には、分相応のささやかな夢を持つ。こんな夢の変化が持てたら素敵だと思いました。
 
  時折、ニュースになる政財界の著名人の晩年の失態は、分相応の夢を逸脱した結果ではないかと思う時があります。
  多くの人達が、日々、夢の実現を目指して張り切って生きています。
しかしその反面、苦しそうで幸せそうには見えない人もいます。
そんな時、分相応の夢と傲慢な夢との違いを考えさせられます。
果たして人は、気力体力を無視して夢を追いかけても良いのだろうかと考えてしまいます。

 「食べる為に生きるな、生きる為に食べよ」という、イギリスのことわざがあります。     これを展開しますと、
「生きる為に食べるな、幸せに生きる為に食べよ」と、なるのではないでしょうか?
  これを夢に当てはめますと、 
「夢の為に生きるな、幸せに生きる為に夢を持て」と、なるのではないでしょうか?
 
  最近、夢は叶えることよりも、持ち続けることに意味があるような気がします。
分相応の夢を持ち続けることは、幸せに生きる為にとても大切なような気がします。




            
平成17年7月











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「私の信じている事」

ここしばらく、悪いことが重なり気持ちが落ち込んでいます。
不思議なもので一つの嫌なことが起きると、続いて嫌なことが起きてきます。
歯を食いしばって耐えようとしますが、気持ちが落ち込んでせつなくなってきます。
  今までは、悪いことには目をつむって、良いこと探しをして踏ん張ってきました。
マイナスにではなく、プラスに焦点を合わせて元気に振る舞ってきました。

  今回は、そのようには出来ません。
仕方がないので、落ち込むだけ落ち込んでみようと決めました。
落ち込むことを許可して落ち込んでいくと、結構、厳しいものがありますが、落ちるだけ落ちると、不思議なもので肩の力が抜けてきます。きっと、怖れが弱まるせいでしょう。
自分のせいだろうが、人のせいだろうが、嫌なことが起きたことに変わりはないのです。
嫌なことを否定も肯定もせず、そのまんまに置いておく感じになります。
  今までとは違う、受け入れ方を感じます。心が静かに落ち着いていくのを感じます。

  力まかせに生きるのではなく、あるがままに生きる一歩のような気がします。
落ちるだけ落ちて心が静かになっているので、今、何をやったら良いかが見えてきます。
焦らず騒がず、良いと思うことを静かに行うことが出来ます。 
少し、大人になった気分です。

  嫌なことが起きるのは、やはり自分の未熟さによることが多いのです。
嫌なことが起きた瞬間は、自分の未熟さの負けなんです。
ここでコンプレックスに邪魔されて、あきらめたら本当の負けなんです。
負けても負けても、勝つ為に良いと思うことをやり続ける限り、負けは確定しないのです。 「忍耐強い努力と精進の他には、どこにも人生というものは存在しない」と、
二年前に言われた渡辺二郎先生の言葉の意味が、もう一皮浸透したみたいです。
倒れたら起きればよいのです。昔から言われています「七転び八起き」なんですね。

  私は何度転んでも、うまくいくに決まっていると信じていますからあきらめません。
私は自分を信じていますから、多少のことではへこたれないのです。    
  


   
平成17年6月

 


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「両親の願い」



平成17年4月26日に末娘、陽子が軽井沢の教会で結婚式を挙げました。
参列者は、双方の家族と早春のさわやかな緑の風でした。
静かで優しい結婚式でした。

  バージンロードを娘と歩きました。
私の腕に回した娘の手の優しさを感じながら、ゆっくりと歩きました。
ただ、心の揺れに足がふらつかぬよう、奥歯を噛み締めながらしっかりと歩きました。
娘の優しさに包まれ、父親の喜びと寂しさを味わいながら一歩づつゆっくりと歩きました。
 そして、私たちにとってかけがえのない宝物を、新郎に託しました。

  静かに結婚式は進んで行き、新郎に伴われて教会を出て行く時、娘が一瞬振り向きました。あの一瞬を、私は忘れることはできないでしょう。
「お父さん、お母さん、ありがとう」と、涙で溢れた瞳の奥から優しく語りかけてきたあの一瞬を忘れることはできないでしょう。
  この娘を授かり、27年間共に暮らせましたことを、心から神に感謝します。

  そして最後に、私たちのもとを巣立つ娘に、「両親の願い」のメッセージを送ります。

    人と人とが触れ合って生きていく上で、大切な事が二つあります。 
  一つは、自分を生かしてくれる人を見い出し、その人を大切にすることです。
  そして、自分も又、人を生かさねばなりません。
  それ故に、生かすべき人を見い出すことです。

   「私が結婚したこの人は、私を生かしてくれる大切な人。
        そして、自分も又、相手の良さを引き出す大切な役割がある」
 ということを心して、支え合いながら幸せな人生を歩まれる事を心から願っています。

                      


平成17年5月






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一つの発見



今年のテーマは、「自分を磨いて、もう一段上を味わう」です。
このテーマを実践する上で、大切な事を発見しました。 

  多くのゴルファーは、「もっと上手になれば、もっとゴルフが楽しくなる」と信じて、上手になろうと努力を惜しみません。私も、この考えの信奉者でした。
  34年前に初めてラウンドした時は、ハーフで70台のスコアーでした。
メチャメチャのひどいゴルフでしたが、楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。
上手にプレーする事よりも、楽しむ事を優先していたからなのでしょう。

 今、私は34年前より確実に上手になりました。
しかし、34年前と同じように楽しんでいるかというと、そうでない時があります。
上手にプレーする事を優先するあまり、ミスによってゲームを壊す怖れに囚われた時です。
楽しむ為に上手になるはずが、上手な成果を求め過ぎるあまり楽しみを失ってしまいます。
上手になる事は、あくまでも楽しむという目的を達成する為の一つの目標なのですから、
「今のレベルを楽しんでいれば、きっと上手になる」と、切り替えていこうと思います。
34年前、上手になる事を優先していたら、苦しくて今日を迎えていなかったでしょう。
 
 この発見は、日常生活にも当てはまる事に驚きを感じます。
「もっと自分が成長(成功)すれば、もっと幸せになれるだろう」と信じて、成長する事や成果を出す事を優先して、一生懸命努力してきました。
成長や成果を求めれば求める程、自分の未熟さに直面して苦しくなります。
苦しくなる一番の原因は、未熟さに対するコンプレックス(無様さ)です。
しかし、未熟な事実を否定してもしょうがないと受け容れ覚悟すると、凄い力になります。
パワフルな人達は例外なく、自分の未熟さを認め、未熟さを動力源にしているのです。
未熟さは生きる邪魔にはなりません。コンプレックスが邪魔をするのです。

 今のレベルがダメだから一段上を目指すのではなく、今を肯定して楽しんでいるから、もう一段上を目指すエネルギーが湧いてくるのです。
    「楽しんでいるから、幸せなんです。だから、成長するんです!!」




平成17年4月






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真っ白な灰になる!



私は20代の頃、ちばてつやのボクシング漫画「明日のジョー」が大好きでした。
何十巻かの単行本になり、映画もシリーズで制作され人気を博しました。
主人公「矢吹 丈」の生き方は、未熟で不安定な20代の私の心を捉えました。

  ある夜、橋の上でジョーに思いを寄せるジムの娘さんとの会話のシーンがあります。
娘さん 「あなたはなぜ、汗と松ヤニの染みついたジムで、毎日、朝から晩まで血と汗に
      まみれ練習しているの? 同世代の人達は、もっと面白いことをして楽しんで
      生きているじゃないの」
ジョー  「オレはくすぶり続ける薪で終わりたくはないんだ。燃え尽きて真っ白な灰にな
       りた いんだ」
  そして、何十巻かを費やした物語の最後のページには、壮絶なタイトルマッチを戦い抜いて、自分のコーナーで静かにうつ向いて座っているジョーの姿が描かれています。
1ページ全体に描かれた、燃え尽きて真っ白になって死んでいるジョーの姿です。
 
  私はこの最後のページを切り取り、机上のガラス板の下に差し込み、真っ白になったジョーを独り静かに見続けました。真っ黄色に変色しても捨てませんでした。
何んにも無い、ナイナイづくしの20代、明日への不安を抱えながらカビ臭い安アパートで、真っ白な灰になった「明日のジョー」を見続けました。

  私は今、「心に決めた夢」に精魂を傾けて挑戦しています。
60歳近くになって、やっと、20代のあの時に感じた熱いものとつながりました。
「心に決めた夢」は、本業の仕事に直接関連はしていません。
  しかし、毎日が生き生きワクワクしています。仕事が楽しくて仕方がありません。
そして、本業があるからこそ「心に決めた夢」に挑戦できることに感謝しています。

 毎朝、神様に御灯明を捧げ天地の恵に感謝し、仏様に般若心経を唱し、先祖縁者の冥福を祈ると共に「心に決めた夢」の実現を真摯に念じています。

  「大きな薪をくべ、大いに燃やしてタイトルを取り、
     その後、残った強い熾き火でやかんの湯を沸かして真っ白な灰になる!」

     

    平成17年3月

 





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私の「一灯」


TKC全国会名誉会長 飯塚 毅先生が、ご逝去されました。
波瀾万丈の凄まじい人生でした。
 
 飯塚会長との出会いは、私が会計事務所に勤務し始めた昭和43年の東京九段会館で会長の講演を聴講した時でした。
聴講会費5千円は、当時の私の給料2万円からして大金でありましたが、国家権力の弾圧と戦い抜いた「飯塚事件」を聞き知っていましたので躊躇なく出席しました。
 胸を目一杯反り返して、満々たる情熱を発して話す姿を見ながら、国家権力に屈することなく、只1人、国税庁・検察庁を相手に戦い抜いた人なんだと思った時、目頭が熱くなりました。
 
 今まで、職業会計人としてこれだけのロマンを持った人間を知りません。
弱冠22歳の多感な私は、感激に震えながら男の中の男だと思いました。
講演を聴きながら、会長の熱さがしっかりと胸の奥深く焼き付きました。
人との出会いで、これほどの衝撃を受けたことは、かってありませんでした。
 修行期間を経て開業する時、あの熱さが忘れられず、TKCに入会しました。
   
 かって、私が理事の頃、何度か会長に神奈川会の例会に出席して頂きました。
私はその度に、足が不自由になられていた会長の手を支えて歩きました。
「ありがとう。ありがとう。あなたはこれからのTKCを背負って立つ人ですね」と、
会長に言われながら歩きました。
そのお言葉がなかったら、その後の神奈川会の会長職はお受けしなかったと思います。
 会長の手を支えて歩きながら、佐藤一斉・言志晩禄の一節を思い浮かべていました。
 「一灯を提げて暗夜を行く、暗夜を憂うること勿れ、只一灯を頼め!」
 知らず知らずのうちに飯塚会長は、私の一灯になっていました。 

 今、私の「一灯」は消えました。
 私はこれから、自らを「一灯」として生きていくことを霊前に誓いました。
                                         合掌




平成17年2月







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「心に決めた夢」

今日まで自分なりに努力し、私の人生に過分な期待を  抱かぬよう心して生きてきました。
その結果、お陰様でそれなりの成果を手に入れ、今日の現状に感謝しています。 
  そんな中、カシコギの言葉に出会いました。
「あなたが虚しく生きた今日という日は、
       昨日死んでいったものが、あれほど生きたいと願った明日」
 この言葉に出会った瞬間、自分自身が恥ずかしく、言いようのない衝撃を受けました。
人間社会の色々なしがらみに時間を取られ、それなりに生きているうちに、心のエネルギーが落ちてきていたのでしょう。この言葉は、私の心に重くのしかかってきました。
 
  エジソンは電球のフィラメントの開発に、2000回以上の失敗を繰り返しました。
それを知った時、自分にはこのような執念がないことにショックを受けました。
  インタビューに応じるタイガーウッズの言葉に、心が釘付けになりました。
「トップアスリートと会うことは楽しい。なぜなら、現在のポジションに至るには、尋常でない犠牲を払ってきたことが理解出来るし、そのことをお互いが尊敬出来るから・・・」
 
  自分の夢に蓋をして、心のエネルギーを上げる事は無理だったようです。
それなりに一定の地位や経済力を得る事は、大切な人を守り、共に生きる上で欠かすことはできませんが、「生きる目的」そのものではないからでしょう。
  人が本気で自分の夢を実現しようと心に決めた時、執念を持ち、犠牲を覚悟して奮い立つのは、夢はいつも自分の限界の向こう側に存在していて、夢への挑戦は、限界への挑戦であり、自分を高めるという「生きる目的」そのものに直結しているからなのでしょう。
  私が心に決めた夢に挑戦する時間は、年齢と体力を考えるとあと3年間でしょう
気がつかなかったら「生まれてきた意味」に気づく、一つのチャンスを失うところでした。

  カシコギが、エジソンが、タイガーウッズが、私の心の蓋を取り除いてくれました。
もう一度、「私は挑戦を楽しむパワフルなカメさん」を生きていきます。 
そして、この3年間の挑戦で、「生まれてきた意味」に少しでも近づけたら何よりです。
条件は揃いました。この3年間、一日一日心して夢の実現に全精力を傾けます。

  遂に、「あの舞台に立てたら、死んでも本望だというもの」に出会えました。 



平成17年1月







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