第107号「暮れの一息」平成20年12月
第106号「心の筋トレ 第一歩!」平成20年11月
第105号「変えられないものと変えられるもの!」平成20年10月
第104号「これでいいのだ!」平成20年9月
第103号「あるがままのつながりの中で!」平成20年8月
第102号「神様がご覧になるから!」平成20年7月
第101号「豊かで楽しい過ごし方!」平成20年6月
第100号「毎朝、一人静かに念じ続けている事!」平成20年5月
第99号「あなたに出会えて良かった!」平成20年4月
第98号「私達のかけがえのないもの!」平成20年3月
第97号「一日一日を一心に生きる!」平成20年2月
第96号「私のお守り!」平成20年1月
「暮れの一息!」
暮れのお忙しいところ 恐縮ですが
息を吸って 止めて・・・ ゆっくり 吐いて・・・
息を吸って 止めて・・・ ゆっくり 吐いて・・・
「 フウーッ・・・!」
ひとつ、変な事を お聞きしていいですか?
あなたはこの一年、どんな涙を流されましたか?
「・・・・・・・?」
うれしい涙・悲しい涙・辛い涙・・・そして感動の涙?
「・・・・・・・?」
涙を流せる心を持っているということは、
辛いことではありますが、救われもしますよね?
「・・・・・・・?」
どちらにしても、泣くだけ泣くと心が洗われて、スッキリしませんか?
「・・・・・・・?」
スッキリしない時って、泣き切っていない中途半端な時が多いと思いませんか? 「・・・・・・・?」
あっという間の、この一年。
大人だから、男だから、女だからと立場を優先しないで、
泣く時は、恥も外聞もはき捨てて、心のままに泣き切った方が良いですよね?
あなたはこの一年、どれだけ涙のシャボンで心の洗濯をされましたか?
「・・・・・・・?」
この一年 ありがとうございました。
平成20年 暮れ
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心の筋トレ 第一歩!」
ここのところ、金融不安・景気後退から生じる難題を初めとして、私の周りで色々な出来事が起きています。悪い時には悪い事が重なるもので、次から次へと伝播して参っています。
こんな時「心の筋トレ」という言葉に出会いました。
私の心にヒットしました。まさに今の現状は、私の心の筋トレにぴったりの状況です。
こういう時こそ、自分を見失わないようコントロールしていかなければと思います。
今の私ができる筋トレの第一歩は、嫌なことをされた時「なぜあの人は、あんな行動をとったのだろう?」と、相手のとった行動の意味を考えることからでしょう。
意味を考えることによって、自分の立場から離れて相手の立場に立って考える準備ができます。
相手の立場に立って考えると「もし、自分が同じ状況に置かれたら、同じような行動をとったかも知れない」と、思う事が多々あることに愕然としてしまいます。
今、私は人との違いを感じ取ろうとしていますが、私たちの心の有り様は、行動パターンや強弱の違いはあっても、基本的に似た様なものではないかと思ってしまいます。
犯罪心理学では、「誰もが皆、人を殺してしまう可能性を持っている」と、言われます。
私たちの基本的心の有り様を考えると、その可能性を否定できなくなります。
私が今まで無事に過ごせたのは、殺人を犯すまでの心理状態に追い込まれなかっただけなのでは?と思うと、ますます、怒りの限界点を上げる努力をしていかなければと思います。
不完全な人間が生きる以上、不安や惨めさという不快な感情がゼロになる事はありません。
人は、この不快な一次感情を感じないようにする為、報復の怒りで打ち消そうとします。
怒りは生まれて今日まで、不快さから防御する為に身に付けた、心のクセの一つなのでしょう。
しかし、怒りで打ち消せば消す程、不快に対する怖れが未完了となってしこりとして残ります。
怒りから開放されるには、打ち消さずに一次感情をそのまま感じる事が大切だと言われます。
仲々難しいことですが、不快になるのは自分の未熟さゆえと自覚し、怒りで打ち消そうとするのをやめ、自分の未熟さを許し、相手への報復の怒りを手放していこうと思います。
人間である以上、不快さを感じないで過ごす事は無理なのですから、怒りで報復している限り穏やかさを手にする事は出来ませんね。不快さを感じる事を許すしかないのでしょう。
不快になるのは自分の未熟さゆえと自覚し、相手の一次感情を感じる訓練から、心の筋トレをスタートします。
平成20年11月
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「変えられないものと変えられるもの!」
「主よ、変えられぬものを受け入れる穏やかな心と、変えられるものを変える勇気と、
両者を見分ける英知を私にお与えください」と言う、平和の祈りがあります。
この祈りを二十数年前に知った時、良く判らないのになぜか感動した事が思い出されます。
今回は、生きる上での、「変えられないものと変えられるもの」について考えてみました。
『変えられないもの=個性』
持って生まれた本来の自分・その人固有の使命(気づく事が人生の課題かも知れません)
『変えられるもの=性格』
生まれて今日まで、色々な出来事に護身の為に反応して身に付けた心のクセ(身に付く事容易)
料理に例えるならば、「個性」は素材、「性格」は味付けでしょうか。
大根の煮付けを作る時、大根はどこまで煮付けても大根は大根です。
しかし、煮込み時間や調味料・水加減・味の濃さ薄さによって、大根の味は変化します。
そして、その味付けは生まれ育った家庭の味「舌の記憶」に左右される習性を持っています。
以前に、死刑執行までの間、死刑囚の話相手をされている方からお聞きした話ですが、どんなに極悪非道な死刑囚でも、死刑執行の前には本来の善なる心を取り戻して罪の償いに赴かれますと、切々と話された事が思い出されます。天から授かった命です。誰しも素材は良いに決まっています。出来事に反応する心のクセが、素材の味を生かしもし、台無しにもするのです。
禅で言う「自性徹見」、徹底して本来の自分を見つめる。素材の味を引き立たせる為、日頃から瞑想によって自分の素材(個性)を探り続け、味付けに一手間かける心がけが大事ですね。
どんな味付けより素材を生かした料理が一番美味しいのですから。
私達は、個性と性格をごちゃ混ぜにして自分という人間を決め付けていますから、単なる心のクセを変えられないものと錯覚してしまうのです。容易に身に付いたクセですから工夫によって変えられるのです。工夫の一つとして、先ず、我慢の限界点を上げる努力があげられます。
限界点を超えそうになったら、その事に関して感謝できる事を探し出し、心から感謝する。
心から感謝すればするほど、感謝の思いが強まり、クセの影響力が弱まるのです。
そして、何よりの工夫は、心がワクワクする事を探し出す事です。ワクワクしていると、最も早く自分の使命に気づけると言われます。自分の使命に気づき、その使命(素材)を優先していると、自ずから味付け(クセ)は薄味になっていくのではないでしょうか?
平成20年10月
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「これでいいのだ!」
先月号の続きです。穏やかに過ごす為に必要なもう一つの事に気づきました。
気づいたというより、気づかされたというのが本当のところでしょう。
穏やかに過ごす邪魔をしていたのは、他でもない、私の考え方でした。
不完全な人間のやる事には限界があり、必ず不完全な部分が生じます。
そして、防衛本能を持つ人間が、変化に対して不安になるのは当たり前のことなのです。
この人間の特性をどう捉え、どう考えるかで、完璧主義者とそうでない人の違いが生じます。
『完璧主義者は、上手く出来なかった所を見て、完全でない事に我慢がならない人』
『完璧主義でない人は、上手く出来ないのは当たり前と考え、上手く出来た所を見て喜ぶ人』
他人事と思っていましたが、私が完璧主義者の罠にはまっていたとは驚くばかりです。
万事という訳ではありませんが、上手くいっていてもその事をじっくり味わう間もなく、次にどうしたらもっと良くなるか「もっともっと!」と、求め続けていた自分に驚いています。
きっと、周りの人たちに余分な迷惑をかけていた事でしょう。赤面するばかりです。
私のお師匠さんに指摘され、気づかされました。
『「もっと、こうなれば良いなあ」とは、誰でも思うことです。
それが納得いかない結果になっても、こんなもんだと思える余裕が必要です。
人生において、その日の出来事は予想がつかないから面白いのです。
今日はイマイチと思う日があってこそ、とても良かったと思える日があるのです。
だから、今日が良かったと思う日にならなくても、「これでいいのだ!」と肯定するのです。』
『今日という一日は、一度しか体験できぬものです。
そんな大切な一日を、上手くいったとか、いかなかったとかに振り回されるなんて・・・・
無理しないで今の自分が出来る事を行い、自分らしく今日を生きるのです。
結果が、イマイチという日になっても「これでいいのだ!」と、今日は今日で完了するのです。
そして、明日はまっさらの一日として、スタートすれば良いのです。』
「もっともっと!」を手放し「これでいいのだ!」を、私の中心軸にきっちり据えました。
どんな日でも「これでいいのだ!」と肯定できたら、一日一日がリラックスして楽しく過ごせますね。なんだか理屈抜きに穏やかに、そして、自分らしく過ごせるような気がします。
平成20年 9月
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「あるがままのつながりの中で!」
私のこの5年間のテーマは、思い通りにならない人生を、どう穏やかに過ごすかです。
ここ数ヶ月、独り言に書きましたように、思いの有り様を色々と試行錯誤してみました。
そして、試行錯誤して分かった事は結局、人と、どうつながるかという事に帰結するのですね。
人とのつながり方こそが、穏やかに過ごす幸せの原点なのですね。
その確認の為に、人間関係や人間の行動の動機に関する本を読んで調べてみました。
私は人間関係において、「幸せな生き方を選択する」という、自分の中心軸を中途半端にしていた事に気付かされました。不測の事態に出会った時の判断基準が中途半端な為、事態にとまどいその時の感情や衝動に流されて、その場を台無しにしてしまう事が度々ありました。
不測の事態への不満より、今、満たされている事に感謝する。(感謝しながら同時に不幸を感じ取る事はできませんからね!)無い物ねだりの幸せを求めるのではなく、今、ある幸せを数え上げ心から感謝する。私はこの「幸せの選択」を、自分の中心軸にしっかりと据えました。
多くの人は、人から認められる事でつながりを得ようとしますが、この依存的方法では真のつながりは得られません。ここから脱皮するには自尊心が鍵を握るようです。
自尊心を自分で満たせない者は、その不足分を人から認められる事で補おうとしますから、常に人の価値観に振り回され、認められなくなる怖れがつきまとうのですね。自慢したり強がりながら心の底では震えているのでしょう。そして、耐えられなくなった時、怖れの二次的感情である怒りで怖れを打ち消そうとするのですね。怒りで打ち消せば消す程、縛られるのです。
解放するには一次的感情である自分の怖れに気づき、感じるままに感じ初念止めする事です。
逆に、自尊心を自分で満たす事ができたら、人からの評価を怖れる必要が無くなります。
要するに、今の自分は確かに欠点もあり未熟でもある。しかし、そんな自分が大好きなんだからしょうがない。未熟だからこそ成長の余地があり、大好きな自分を絶対諦めませんから、結局は「うまくいくに決まっている!」と、笑いながら自分を信じているどうかなのですね。
そうなると、人の評価や人の対応の仕方に一喜一憂する事無く、穏やかに過ごせるのでしょう。
大好きな自分ですから、人からどう思われるかはそんなに大きな問題ではありません。
むしろ、自分が人の思いをどう感じ取り、尊重するか。尊重する事ができれば、感じ方の違いはお互いの個性として静かに受け入れられるのでしょう。そして、受け入れた上で歩み寄る工夫をする。それを繰り返しているうち、人をコントロールしようとする思いから解放されて、あるがままのつながりの中で、穏やかに過ごせるのでしょう。
平成20年 8月
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「神様がご覧になるから!」
平成またもや食品偽装事件が起きました。
他社が偽装事件で新聞沙汰になっている時、ここの社長は何を考えていたのでしょう。
今、消費者を裏切ると、どんなに大きな会社でも倒産の憂き目に遭う事は知っている筈です。
破滅の道がはっきり見えているのに、今更、やめられなかったのでしょうか?
このような事件が起きた時、真っ先に私の頭に浮かぶのが問題会社の社長の「人格」です。
ハーバード大学の心理学の教授は言われる。
例え大成功を収めても、その事がもたらすストレスに耐えられる人格を持たない人間は、やがて悲惨な結末を迎える。そういう人物は、傲慢・孤立感・破滅的な冒険心の罠に陥りやすい。
京セラの稲盛氏は言われる。
人生は、「因果応報の法則」を横糸に、「波瀾万丈の運命」を縦糸にして織り上げられる。
横糸は縦糸より強く人生を左右する。しかし、横糸も万能ではなく、縦糸の波に影響される。
運気が悪い時に、少しくらい良い事をしても結果が相殺されて良い結果が出てこない。
運気が良い時に、少しくらい悪さをしても悪くはならない。
ここですよね、運気の良い時に悪さをしてもうまくいく。
それをよい事にどんどんエスカレートして、運気が悪い時にそのツケを支払う。ここの社長は、
幾度かこのままではまずいと思った筈です。人格を磨いていたら正す事が出来た筈です。
私も直さなければまずいと思う事が幾つもあります。今、一番直したい事は人に分かって貰おうと頑張るのは良いのですが、ともすると、自分の正しさや強みを強調してしまうクセです。
今、私が一番望むのは、分かって貰おうとする思いを静かに手放し、人の思いに焦点を合わせそれを暖かく包み込んであげられる、そのような暖かで奥ゆかしい人格が欲しいのです。
ミケランジェロは、バチカン礼拝堂の壁画を仰向けの姿勢で4年間にわたって描き続け、その不屈の精神は周囲に多大の影響を与えました。しかし、その為に支払った代償は大きく、疲労困憊し、視力は衰え肉体はボロボロになりました。そんな時、誰も注意を払わない暗い隅っこまで、なぜそんなに丹念に仕上げたのかと尋ねられて、ミケランジェロはこう答えています。
「神様がご覧になるから!」
神様がいつも私をご覧になっているのですから、自分の思いを一歩静かに引いてみましょう。そして、今の自分が出来る最善を尽くしながら、暖かで奥ゆかしい人格を育んでいきましょう。
平成20年 7月
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「豊かで楽しい過ごし方!」
今回、人との接し方について、大切な気づきを与えられる体験をしました。
地獄の訓練や山中の断食に勝るとも劣らない、気づきであったような気がします。
それは、人に誤解されその誤解を正そうとしている時、自分の正しさを真剣に説明すればする程、その人との距離が遠のいていく虚しさと惨めさの中で気づかされました。
私は今まで、自分さえ間違った事をしていなければ、多少の誤解は良しとしていました。
コミュニケーションは相手の受け方次第だから、理解し合うには自ずから限界があるのは仕方がない事と決めつけていました。そのくせ、理解されなかったりすると変に寂しさを感じたり、人間関係の面倒くささを感じていました。
今回この気疲れは、ビジネスとプライベートの違いが理解出来ないからだと気づきました。ビジネスでは強引に自分の主張を押し通す事が成功に繋がるとしても、プライベートでは自分の主張よりも相手の思いに焦点を合わせる事の方が大切になります。この違いが分からないから、ビジネスで成功してもプライベートで失敗する人が出てくるのでしょう。
ビジネスでは誤解を正す事が大事だとしても、プライベートでは誤解だろうが勘違いだろうが相手の思いをどれだけ感じ取れるかが大切なのですね。
そして、感じ取った相手の思いをどれだけ暖かく包み込めるかです。
自分の正しさや立派さを理解して貰う事を手放し、相手の思いに焦点を合わせていると自分がどう思われるかが弱まって、人間関係の気疲れが消えていくだろうという事が予測出来ます。今まで、分かったつもりになっていた、人間関係への理解の浅さに恥じ入ります。
この世が自責の念でコントロールされているのであれば、大切な事はその人の自責の念を弱めてあげる事に尽きるはずです。その為には、その人の思いを感じ取り、ただ、その人の横で一緒に泣いたり笑ったりしてあげられたら良いのでしょう。まさに
Stand by me ! ですね。それが出来たら人間関係は、なんと楽で暖かいものになるでしょう。
特にプライベートの世界では、自分の正しさを弱めて人の思いに焦点を合わせて生きるとしたら、どれだけ気疲れから解放され、人から自由になれる事でしょう。
そして、求める心を程良いところで止められたら、どんなに豊かで楽しく過ごせる事でしょう。
平成20年 6月
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「毎朝、一人静かに念じ続けている事!」
平成10年の春から書き始めた独り言も、遂に100号を迎える事になりました。
筆無精の私が良くもまあ、書き続けたものだと感心してしまいます。
その時々に感じた思いを表現する怖さに、耐えられたのは何だったのでしょう。
1号から読み返してみて、その時々に感じた事が、昨日の事のように鮮明に蘇ってきます。
恥ずかしくもあり、辛くもあり、うれしくもある、私の10年間の悲喜こもごもの軌跡です。
そして、未熟なりに、ひたむきに生きた証明であり、私の大切な宝物です。
きっと、私の生まれてきた意味を問い続ける為に、必要だったのでしょう。
10年経った今、私はどれだけ「生きる意味」に気付けたのでしょう。
改めて問うてみますと、分かったようで分からないと言うのが本当のところです。
多分、一生「何の為に生きるのか?」という問いを、発し続けていく事でしょう。
我が身に起きる出来事に、いい気になったり、落ち込んだり、苛ついたりしながら生きていく事でしょう。しかし、一喜一憂して初念に振り回される事は仕方がないとしても、起きてしまった初念に囚われず、二念を継がぬよう百練千鍛精進していく覚悟は出来ています。
先日、心優しい方から頂いた本の中に、私の問いに勇気を与えて頂く言葉を見つけました。
『もし、あなたがこの世界に、ひとつも用がないとして、
それでも、今日の朝がきたなら
きっと、この世界があなたに用があるんだ!』
例え、どんなにうまくいかなくても、私が今日の朝を迎えたとしたら、私はこの世で何かの役に立つ存在なのですね。私の生きる意味があるんですね。頂いた本を書かれた先生も、何度かもうダメだと感じられた時、この言葉に救われたそうです。私もなんだか楽になりました。
そしてもう一つ、毎朝、一人静かに念じ続けている事の確認が取れ、とても嬉しく思います。
『うまくいくに決まっていますから、うまくいかなかった事に囚われず、
ただ、うまくいっているように振る舞うのです。
うまくいくに決まっていますから、明るく元気に暖かく振る舞うのです。
そして、今日一日、何百回と「ありがとう」と言うのです。
ありがとうという度に、うまくいくのです。
うまくいく心地良さに、感謝せざるを得ないのです。
そして、うまくいくパワーを授けて下さる、天に感謝するのです!』
平成20年5月
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「あなたに出会えて良かった!」
私は以前から、あなたに出会えて良かったと思われるような人になりたいと願っていました。しかし、いつの間にかその願いが薄れて臆病になっている事に気付きました。
その理由は、良い人と思って貰おうと必死になる余り、そこにつけ込まれ、利用され、手痛い目に何度か遭ったからでしょう。
また、こんなに相手の為にやっているのになぜ分かってくれないんだろうと、腹立たしい思いをイヤという程して、傷つき疲れ果てたからでしょう。
そして、人の評価に一喜一憂して振り回され、自分の人生を見失う危険を感じたからでしょう。
しかし、今、心を新たに再挑戦しようという思いが起きています。
トムの病気や自分の余生を考え、「限りある命」の有り難さを静かに感じ出したからでしょう。
「命のあるうち、日が暮れぬうち」に、もう一度挑戦しようとエネルギーが湧いてきました。
再び失敗しないよう、今まで私が出会って良かったと思った人達の事を整理してみました。
確かに、私が出会って良かったと思った人達は、私に良い事を沢山してくれました。
しかし、時が経過しても出会って良かったと思える人達は、それだけではなかったのです。
私に良い事をするだけでなく、私が生きる上で大切な事を気付かせてくれた人達でした。
私の中に眠っていた、幸せに生きる為に必要なものを引き出してくれた人達でした。
その人に出会わなかったら、気付く事がもっと先になっていた事でしょう。
今、気付いてそれを生きるか、もっと先に気付いてから生きるかは、人生を味わう上で恐ろしい程の大差になります。だから、私はその人と出会って良かったと心底から思っているのです。
私は、「カメさん」と呼ばれるのが大好きです。
南太平洋に住む海亀は、畳三畳・四畳程の大きさ成長すると言われます。
しかし、ペットとして水槽で飼うと、水槽の大きさに合わせて体の成長を止めるそうです。
私は、自分の住んでいる世界の大きさに合わせて生きるペットのカメさんではなく、大海原を自由に生きる大きな大きなカメさんでありたいと願っています。
私は「カメさん」を意識すると、臆病風が吹き飛んで一歩踏み出す勇気が湧いてくるのです。
私がして貰ったように、私が出会った人達に私の良さを分かち合うだけでなく、その人が持っている良さに気付いて貰う気配りが出来る人間になりたいと、一歩踏み出しました。
「あなたに出会えて良かった」と思われる人間になろうと、カメさんは再び挑戦を始めました。
平成20年 4月
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「私達のかけがえのないもの!」
今、午前4時過ぎです。ついさっきまで私はトムを腕枕に抱き、トムの安らかな寝息と暖かい体温を感じながらベッドの中にいました。
トムの病気の事を考えると、色々な思いが頭を駆けめぐり眠れそうにありません。
この思いを書き留めておこうと、ベッドから抜け出しペンを走らせています。
今年の正月、トムの右前足の後ろ側にピンポン球大のふくらみを見つけました。
一瞬、心が凍り付きましたが正月休みの事でもあり、様子を見る事にしました。
日増しにふくらみは大きくなり、ついに堅くパンパンに腫れてしまいました。
同じ足の前側にも小さなふくらみを見つけました。もう、様子を見ている場合ではありません。
かかりつけの病院に連れて行き診察を受けると、至急手術を要する腫瘍との診断を受けました。手術した結果、良性・悪性を含めて7つの腫瘍を切除しました。
病理検査の結果は、再発率20%、遠隔転移率5%だそうです。
ショックでした。私達夫婦は、抗ガン剤の投与をするかどうかの相談を受けました。
信頼する先生からの提案でしたが、抗ガン剤の副作用を考えると躊躇してしまいます。
丁度二ヶ月前、トムの10歳の誕生日に、ドッグイヤーを考えると後5年程の命だろうから、出来るだけトムと一緒に過ごして思い出をしっかり作っていこうと決めたばかりでした。
だから、辛い思いをさせないで過ごさせてやろうと、私達は投与の選択をしませんでした。
トムの病気によって、私達はトムの存在の大きさを改めて思い知らされました。
トムの何気ない所作や愛くるしい瞳に見つめられ、どれだけ癒され安らいだ事でしょう。
朝起きると「オハヨウ!オハヨウ!」と尻尾を振りながら何度も何度も飛びついてくるトム。
私達が話しをしていると、さも話の内容が分かっているかのようにじっと聞き入るトム。
ぼんやり座っているといつの間にか隣に来て、私達の膝の上に自分の顎を乗せて安らぐトム。
夜九時過ぎになると、幼児が突然眠くなるように部屋の片隅で横たわりいびきをかき出すトム。
これらの一つ一つが、いつの間にか私達にとってかけがえのないものになっていました。
トムを授かり家族の一員として過ごせる幸せに、心から感謝しています。
トムも私達も限られた時間が見えてきました。これからどれくらい一緒に過ごせるか分かりませんが、トムとの別れが来た時、悲しみに打ちひしがれぬよう、悔いが残らぬようトムと過ごす一瞬一瞬を、イヤという程味わっていこうと覚悟しました。
平成20年3月
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一日一日を一心に生きる!」
還暦を過ぎ、私の寿命もよくよく考えてみますと、うまくいって後20年程の命です
今まで生きてきた3分の1の時間です。日数にして約7千日です。
悔いのないよう味わって生きなければ、もったいないと思っています。
そんな折り、地下鉄を降り改札口に向かっている盲目の女性に出会いました。
顔色もすぐれず少しふらついているようでしたから、彼女の様子に注意しながら歩きました。通路に表示されている黄色い表示板からはずれて、エスカレータの方にふらふらと向かって行ったので、彼女の肘にそっと触れて階段はこっちの方ですよと導きました。
「ありがとうございます」と、胸にしみるような優しい声でお礼を言ってくれました。
その少し前に、厳しさの中でひたむきに仕事をしている娘と別れてきたばかりでしたから、盲目でひたむきに歩く姿が娘と重なり、彼女の不遇さを思い胸が熱く切なくなりました。
改札口を出ると、又、階段です。彼女はエスカレータの方に向かっています。
危ないと思ったのですが、彼女との間に距離が出来ていて今度は間に合いません。
しかし、ふらつきながらも慣れた感じでエスカレータに乗って行くではありませんか。
その瞬間、自分勝手な思いこみで彼女の邪魔をした事に気付きました。
それなのに彼女は、優しくお礼を言ってくれたのです。愕然と立ちつくしながら、ある出来事を思い出していました。その事が、この独り言を書き始めるきっかけとなったのです。
それは10年前の、春の気配を感ずる3月のある日でした。
夕暮れ時の買い物客に混じって、彼女は横断歩道を渡っていました。
手には重そうなスーパーの買い物袋を下げ、
肩を左右に大きく振りながら、ぴょこたん・ぴょこたんと歩いていました。
前方をしっかりと見据え、内側に折れ曲がった不自由な足を使って一心に歩いていました。
何のけれん見もなく障害を受け入れ、一心に生きる彼女の姿を見瞬間、胸の奥が熱く切なくなった事を昨日の事のように思い出していました。
還暦を過ぎ、ゆるみかけた人生の途上で、またもや不遇にもめげずひたむきに生きる姿に出会いました。静かにありがとうとつぶやくしかありません。
ままならぬ人生ですが、不足を言う前に与えられら条件の下で、一日一日を一心に生きていこうと改めて心に刻みつけました。
平成20年 2月
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「私のお守り!」
新年あけましておめでとうございます。
すこやかに新年を迎えられました事、お喜び申し上げます。
一年の計は、元旦にありと申します。皆様の一年の計は、どのようなものでしょうか。
昨年11月、88歳の誕生日に10億円寄付されたおばあさんの記事が思い出されます。
「40年前、教育に役立てて貰おうと米寿の誕生日に10億円寄付しようと目標を立て節約してきました。馬鹿にされるだけだから誰にも言いませんでした。」
「ふるさとに恩返し出来たのは人生最大の幸せ!」と笑みを浮かべられました。
おばあさんは教育者の両親のもとで育ち、戦後、高校教諭を務めた後、友人から厨房関係の会社を夫と共に引き継ぎ、従業員10人程でしたが休みなく働いたそうです。
暮らしぶりは、30年前に買ったテレビ、25年前の冷蔵庫、洗濯機は二槽式。
宝石とかブランド物には関心がなく、風呂の水をトイレに流し、テレビは殆ど見ない。
使わない電化製品のコンセントは抜いて月2500円の電気代を節約。
外食は全くせず、夕食は人参をすり下ろしヨーグルトと唐辛子・黒蜜をかけたものだけ。
おばあさんは、素敵な40年の計を見事達成されました。
おばあさんに負けないように、私もしっかりと一年の計を立てようと思います。
11時就寝6時起床
毎朝40分、体幹を鍛える(腹筋500背筋200・腕立て伏せ・スクワット・ストレッチ)
毎朝、30分静かに瞑想
体重75kgウエスト85cm維持(一噛み20腹八分目・週3回30分散歩)
毎日、読書の時間を持つ(年間100冊読了)
所長の独り言を100号が過ぎても書き続ける
うーん!10億円がちらついて何ともちっぽけなものですね。
しかし、今、自分の出来る事をしっかりとやっていくしかないですね。
おばあさんの記事は切り抜いて、いつも財布の中に入れて持ち歩いています。
くじけそうになった時のお守りにしているのです。
新年が皆様にとりまして、より良き年でありますよう心より念じております。
平成20年元旦
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