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第167号「暮れの一息」平成25年12月
第166号「ダメだな〜と思ってしまう自分を元気にするヒント!」平成25年11月
第165号「わが家の先生パート9!犬に贈る賛辞!」平成25年10月
第164号「人生70年古希稀なり!」平成25年9月
第163号「生まれて来た目的!」平成25年8月
第162号「我が家の先生 パート8!」平成25年7月
第161号「明るく元気に格好良く!」平成25年6月
第160号「人生の選択に正解・不正解はあるのか!」平成25年5月
第159号「幸せ度を上げる為に大切なこと!」平成25年4月
第158号「あなたの働く理由は?」平成25年3月
第157号「うまくいってもいかなくても、それでいい!」平成25年2月
第156号「平成25年度の三つのテーマ!」平成25年1月







                「暮れの一息」



暮れのお忙しいところ 恐縮ですが
   息を吸って 止めて・・・ ゆっくり 吐いて・・・
   息を吸って 止めて・・・ ゆっくり 吐いて・・・
             「ふうーっ・・・・・」

 ひとつ、変な事を お聞きして良いですか?
あなたにとってこの一年は、どのような一年だったのでしょうか?
             「・・・・・・・・?」
 良き出会いや得る事の多かった一年だったのでしょうか?
それとも、悲しい別れや失う事の多かった一年だったのでしょうか?
あなたにとって、どちらの思いが多く感じた一年だったのでしょうか?
             「・・・・・・・・?」
 私にとっては、今までになく別れの思いが多い一年でした。
数年のご縁の方から、40年近くのご縁の方との別れがありました。
お元気だった頃の事が、今も走馬燈のように頭の中を駆け巡ります。
歳を重ねたせいなのでしょうか、今年ほど別れが身にしみた一年はありませんでした。
              「・・・・・・・・?」
「会うは別れの始めなり」といいますが、改めてこの言葉の重さを感じた一年でした。
今まであなたには、どれだけの出会いがあり、どれだけの別れがあったのでしょうか?
あなたはその出会いを、どれだけ大切に育んだのでしょうか?
あなたはその別れから、どれだけ大切なことを学んだのでしょうか?
そして、「別れ」の最も根源的な事は、いつかは終わる事を前提に生まれた私達です。
いつかは訪れる終わりを怖れたり言い訳にしないで、その過程で出会ったご縁を大切に育み、その別れからどれだけ大切な事を学んで行くかが、私達に課せられた勤めなのでしょうか?
              「・・・・・・・・?」
 始まったと思ったこの一年も、もうすぐ終わりに近づいています。
さあ、新しい一年は、どんな出会いと別れが待っているのでしょうか?
別れよりも良き出会いの多い事を念じながら、別れの多かったこの一年を終わろうと思います。
              「・・・・・・・・?」

      この一年 ありがとうございました。

                        平成25年 暮れ


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     「ダメだな〜と思ってしまう自分を元気にするヒント!」
       
 


自分をダメだな〜と思ってしまう時って、どんな時でしょうか?
今日は休肝日なのに飲んでしまったとか、ダイエット中なのにツイ食べ過ぎてしまったとか、早朝ランニングを決めたのに三日坊主でやめたとか、こんな時でしょうか?
失敗した時に、なぜダメだな〜と思ってしまうのでしょうか?
節酒やダイエットが簡単に出来る自分だと思っていたら、しょうがないな〜と苦笑いはしてもダメレッテルは貼らないでしょう。今までの多くの失敗がこびりついて、自分には難しい・出来る訳がないと思っているから、失敗の度にダメだな〜と思ってしまうのではないでしょうか。

 この「出来る自分」「出来ない自分」は、他の誰でもない自分が決めているのです。
この決める元になっているセルフイメージは、今までの成功や失敗、勝利や屈辱、幼い頃からの扱われ方によって無意識に作り上げられてしまいます。そして、人生に強い影響を与えているにも関わらず、無意識に作り上げられる為、自分では中々自覚出来ないのです。例えそのイメージが間違っていたとしても、本当の自分と思い込んで振る舞ってしまう所が問題なのです。
例えば、親から怒られてばかりいたり、話を聞いて貰えなかったりすると、自分は重要な存在でないというセルフイメージを作り上げて、内気な人間になりやすいようにです。

 マイナスのセルフイメージを持つ人は、失敗を大げさに受け止め、自分を責め傷つけます。
そして、こんな自分に節酒・ダイエットが出来る訳ないと思っていますから、続けられません。セルフイメージ通りに出来ないのです。人を失敗に導くのは、才能や能力のせいではなくダメ人間という無自覚なセルフイメージにほかならないのです。失敗した事でますますダメな自分を強化して自分を嫌っていく。嫌えば嫌うほどやる気を失って、失敗を呼び込んでいくのです。

 このスパイラルから抜け出るには、先ず、マイナスのセルフイメージを捨て去り、健康・家族・仕事等のジャンル別に分相応の在りたい自分をイメージする。そして、在りたい自分になったつもりで演じてみる。そうすると大抵失敗する。何度失敗しても自分を責めて敵になるのではなく、優しく受け入れ自分の味方になり、在りたい自分を信じて、演じ続け、許し続ける。凄い事や大きな事を一気にやろうとしないで、分相応の今の自分が出来る事をコツコツと積み上げていく。その過程で、どれだけ大したことない自分に出会っても、これが自分の持って生まれた実力と受け入れる。もっと出来るはずという錯覚を投げ捨て、今の状態、今の自分でOKと言い切る者だけが、在りたい自分を目指して元気に歩き続けられるのでしょう。

 過大期待しないで、分相応の自分に寛大になる。失敗したら、又、そこから歩き始めれば良い。何度失敗しても自分を嫌わない。嫌ったらお終い。元気がなくなってしまいますから!

                                   平成25年11月




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        「わが家の先生パート9!犬に贈る賛辞!」



目も見えず、耳も聞こえず、口もきけず、鼻もきかず、介護無しでは動けないトム君が、遂に認知症になってしまい、私達の事が認知できなくなりました。
以前は、私が自宅に帰ってくれば、家族が気付かないわずかな足音に気付き、尻尾をちぎれんばかりに振りながら玄関に出迎えてくれたトム。居間のソファに座っていると、いつの間にか膝の上にあごを乗せて寄り添ってくれたトム。眠る為に一緒にベッドに入ると、大好き大好きと言わんばかりに私の顔を舐め続けてくれたトム。そんな事、全部しなくなりました。
大好きなご主人様と認識できなくなったようです。

 そんな折、「犬に贈る賛辞」という詩に出会いました。その詩の内容が、2年前にボロボロ泣きながら観た「星守る犬」の映画のストーリーそのものなのです。そして、ペットとしてではなく、家族の一員として犬を大切にする人達の大きな理由を表していると思いました。

『・・・世の中では1番の友があなたを裏切り、敵となる事があります。
一生懸命慈しんで育てた我が子でさえ、その恩を忘れ、親不孝者となる事があります。
自分の幸せと名声をかけて信じていた人に、その信頼を裏切られる事もあります。
富は、自分が一番必要とする時に、そこにあるとは限りません。
名声は、ほんの一瞬の過ちで失われ、敬っていた人達は離れていきます。しかし、こんな自分勝手な世の中において、決して裏切らず、恩を忘れない誠実な友。それはあなたの犬です。
あなたの犬は富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、あなたに寄り添っています。冷たい風が吹きすさび、雪が降りしきる日でも、あなたが隣にいさえすれば、冷たい土の上で眠ります。与える食べ物が何一つ無い手をさしのべても、その手に接吻し、世間の荒波にもまれて傷付いたあなたの心と体を優しくなめます。
富や名声を全て失い、全ての友を無くし、道端に住む事になっても、忠実なあなたの犬は、隣にいてあなたを守る事以外何も望まないでしょう。
そして全てが終わり、死がやってきて、あなたが冷たい土の中に葬られ、全ての人が去った後も、あなたの犬は、前足の間に頭をうずめ、そこにとどまり、悲しみにくれた目を大きく見開いて、墓を守り、自らが死を迎えるまで、あなたに誠実で真実であり続けるのです・・・』

 トム君は、夜中に徘徊したり、おしっこやうんちを漏らしたりして、ますます世話が大変になっています。でも、世話する事がイヤにならないのです。トム君が生きる限り精一杯世話をし大好きでいようと思います。こんな気持ちにさせるトム君の今迄のひたむきさに脱帽です。
せめて、トム君の教えてくれた何分の一かでも心して、人間関係を育んで行こうと思います。

                                   平成25年 10月




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            「人生70年古来稀なり! 」
       
 


先月、30年来の友人の古稀のお祝いがありました。社会人になって出来た数少ない友人の一人です。そのお祝いの席で、冒頭、友人のお気に入りの良寛和尚の漢詩を使って祝辞を述べました。その挨拶を独り言に残しておきたくて、一部加筆してここに書き記します。   
良寛和尚は50歳60歳70歳と10年刻みで、遺稿として漢詩を著しておられます。
70歳の時の作が、下記のものです。  
             良 寛 漢 詩 草 庵 雪 夜 作
   回首七十有余年      首(コウベ)を回らせば 七十有余年
   人間是非飽看破       人間の是非 見破るに飽きる
   往来跡幽深夜雪      深夜の雪、往来の跡幽(カス)かなり
   一?線香古渇コ      古びた窓の下 燻る一本の線香
 振り返ってみると、あっという間に七十数年が経ってしまった。これまで人間の善し悪しを飽きるほど見聞きしてきた。夜更けまで降り積もる雪で、往来の道跡が幽かになってきた。
私の幽かな命を示すように、古びた窓の下で最後の線香が一本、燃え尽きようとしている。

 年を取ると言う事は、今まで出来ていた事が出来なくなったり、持っていたものが無くなったりと、何かが少しづつ失われていく事。諦めと踏ん張り、怒りと哀しみのせめぎ合いの中で微妙なバランスを取りながら、受け入れるスペースを広げていく事なのでしょう。
失った分だけ受け入れるスペースを広げていかないと、心の隙間が大きくなって虚しくなってしまうでしょうから。若い頃は、色々なものを手に入れたり、評価される事が幸せだと思って頑張って来ましたが、これからは求める思いを弱くして、受け入れる心を高めていく事が大事になっていくのでしょう。これが良寛和尚の漢詩がいう、足跡が幽かになる事なのでしょうか。
      
 私も今月で、67歳の誕生日を迎えます。
「人の言葉に素直に耳を傾ける」という「耳順」の年もあと3年で終わろうとしています。 「思うままに振る舞っても道を外れず」と言える、「70歳従心」の年まで、後、3年!
今のままで「従心」を迎える事は大丈夫か?と自分に問いかけてみると「まだ!」としか答えようがありません。しかし、一つ、分かってきた事があります。先月号にも書きましたが、下記の事を心して、私も友人のように無事に古稀の歳を迎えたいと思います。                  求め過ぎないで静かにいる・・・
          ただ受け入れて静かにいる・・・
          それが、執着分別の苦しみから自由になる最良の道!

                                 平成25年 9月



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              「生まれて来た目的! 」
       
 


最近、私の周りで何人かの人に辛く哀しい出来事が起きています。
もし、私が当事者だったら、傷つき苦しみどうしてよいか分からなくなるでしょう。
ニュースなどで見聞きしていましたが、身近で起きるとこんなにも辛くてこたえるのですね。
その人になんと言ってあげたらよいのか迷います。そして、同時に無力感を感じます。
そんな時、なにか慰められるヒントはないかと『生きがいの創造』『生きがいの本質』を読み直しました。以前にも何回か読んだ本ですが、改めて一言一言が心に響いてきます。

 私達は、なぜ生まれて来るのか。それは、生まれて来なければ経験できない貴重な学びの機会があるからで、その機会、つまり「死」や「病気」や「人間関係」等の思い通りにならない苦しみを浄化して、苦しみから自由になる為に生まれて来たのです。その為には受け入れる心を高める事。受け入れる心こそが、思い通りにならない苦しみを浄化する最良の方法なのです。生まれる前の意識体としての魂の状態では、食物を食べて肉体を維持する事も、肉体が老いて滅びる事もなく、テレパシーで何でも通じ合えるので、人を疑ったり騙したりする事もなく、本質的苦悩が存在しない世界なのです。それなのに、わざわざ自由な魂から不自由な肉体に宿り、思い通りにならない事をセットして繰り返し生まれて来るのは、自分でセットした通りに悩み苦しみながら、受け入れる心を高め苦しみから自由になる訓練の為なのです。

 そして、自分でセットした通りに悩み苦しみながら、時には誰かをものすごく怒り、恨み、憎む事にも価値があるというのです。但し、その場合には最低限守るべき条件が二つある。
その条件とは、その感情を直接相手にぶつけてはならないという事。そして、いつの日にかその人を許すのです。なぜなら、そのような感情を通してあなたが学ぶ為に、相手にそのような感情を与える役割を演じてくれるよう、自分で頼んでセットしておいた事なのですから。
そして、受け入れられない事が、こんなにも辛く空しく自分を傷つけるだけだという事を徹底的に自分に思い知らせる為に、今、思いっきり傷つき苦しむのです。

 そして、時の流れの助けを受けて、苦しみが薄らいでいくのを待つのです。
いつの日にか、今の自分があるのは、あの辛い体験があったお陰だと「感謝が傷を癒す」日が来る事を信じて、今、思いっきり傷つき苦しんで良いのです。
自我の苦しみを浄化する『受け入れる心』を高める為に生まれて来たのですから!
         求め過ぎないで静かにいる・・・
        ただ受け入れて静かにいる・・・
        それが、執着分別の苦しみから自由になる最良の道!
                               
                                平成25年 8月




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            「我が家の先生 パート8! 」
       
 


我が家には15歳7ヶ月の老犬トム君(アメリカンコッカースパニエル)がいます。
独り言への登場は、これで8回目になります。
現在のトム君の年齢は、コッカースパニエルの平均寿命から言うと、奇跡的な長寿だそうです。

 昨年は出先で急性膵炎になり、苦しむトム君を車に乗せ夜中3時間走り続け病院に連れて行った事を思い出します。今年に入って腎臓が悪くなり、定期的に点滴治療と投薬で悪化を遅らせています。後ろ足が弱くなり歩きにくくなっている時、後ろ足の靱帯を切り歩けなくなりました。そんな矢先、皮膚がんの一種がピンポン球くらいに膨れて破裂しました。
膨れ出した時、手術を検討したのですがトム君の腎臓の状態と年齢からみて手術に耐えられないとの事で見合わせていたのでした。悪い時には悪い事が重なるもので、かろうじて見えていた左目がドライアイと緑内障の悪化で、ついに全盲となりました。それでも、毎日8種類の目薬を5分おきに点眼していますが、ちゃんと点眼させてくれます。耳も殆ど聞こえていません。

 目も見えず、耳も聞こえず、口もきけず、介護無しでは身体を動かす事も出来ません。
それでも愚痴なんて言いません。この先どうなるのだろうと不安にも思っていないようです。
そして、今の自分に悲観して、人間のように死のうなんても思っていないようです。奇跡の人ヘレン・ケラーの三重苦の上をいくトム君は、今の状態を全て赦し受け入れているようです。
1日の大半は伏せて寝ていますが、動ける時は這いずりながら、ぶつかりながら、転びながらも動こうとしています。そんな姿を見ていると、頼もしくもあり感動すら覚えてしまいます。
不自由な身体で、生きるってこういう事なんだぞと私達に教えてくれているような気がします。
 
 トム君を見ていると、インビクタス負けざる者たちの詩の一節がよみがえってきます。
    赦しこそが 恐れを取り除く最強の武器だから、
    運命に打ちのめされても どんな状況に陥ろうとも私は恐れはしない
    赦しが魂を自由にし 負けざる魂を鍛え上げ恐れを取り除いてくれる
私が我が運命の支配者! 私が我が魂の指揮官!

 歩行補助具のハーネスだけでは無理になったので、ペット用のバギーを購入しました。
天気の良い日にバギーに乗せて外に連れて出すと、顔にそよぐ風を心地よさそうに受けながら嬉しそうな顔をしてくれます。そんなトム君を見ながら、生きるって何だろう、幸せって何だろうと考えてしまいます。やはり、トム君は我が家の先生です!

                                     平成25年 7月


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            「明るく元気に格好良く! 」
       
 


世の中はダイエット関連の広告で溢れています。これだけダイエットに関する広告が溢れるという事は、ダイエットの成功率はきわめて低いものなのでしょう。
何か目標を立ててそれを達成する為には、先ず方法論の前に意志力が重要なのですが、意志力を鍛えないで、ダイエット関連の商品に依存しようとするからうまくいかないのでしょう。 
ダイエットは、食べるのを「我慢する」から「コントロールする」というレベルに高めない
と成功しません。このコントロールする力が意志力です。この独り言も今までは精神論中心でしたが、今回は脳科学的に意志力を高めるにはどうしたら良いかを調べてみました。
意志力を高める為に大切な脳内ホルモンに、ドーパミンとセロトニンがあります。
 
 ドーパミンは、快楽や報酬を求める快感ホルモンで、やる気の源になります。好きな事に熱中している時や、楽しかったり、嬉しかったり、愛されたりという報酬を受け取った時に分泌され、快感を感じ幸せになります。行動と報酬が結び付くことでやる気が出てきます。
快感の効果は長続きしないので活性化するには、望む目標を立てて行動し報酬を得て快感を感じ、そして、更に新たな目標を設定し、また達成し快感を得るというサイクルが必要なのです。
そして、目標を手帳に書き込んだり、壁に貼ったりして毎日目標が再確認出来るようにして、やる気を持続させる必要があるのです。

 セロトニンは、活性化してくると意欲がみなぎり外向的になり、低下すると内向的になりうつ状態になります。セロトニンは、日の出と共に盛んになり午後から夜にかけて低下します。
先ず、朝目覚めと共に朝日を浴びて分泌のきっかけを作ってやり、ラジオ体操や散歩等の一定のリズム運動をし、その後に朝食を食べたりガムを噛んだりして咀嚼する事でセロトニンは活性化されます。セロトニンが活性化してくると、明るく元気に活動する事が出来るのです。
その状態になった時に初めて、午前中の脳のゴールデンタイムが活かせるのです。
太陽の光を浴びて真っ黒に日焼けした人に、内向的な人が少ないというのも1つの事実です。

 朝一番にセロトニンが活性化されていないと、報酬を得てもドーパミンは分泌されにくくなり、やる気が低下してしまいます。又、逆にドーパミンが出過ぎて羽目を外さないよう、ドーパミンの強力な力を調整してバランスをとってくれます。又、ストレスに対しても動じない冷静さを保つ働きがあります。昔から早起きは三文の得と言われたのは、セロトニンの働きを実生活で体験していたからなのですね。朝寝坊の人は要注意です。
精神論と脳科学とで意志力を高められたら、ダイエットだけでなく色々な自己実現が出来て、 「明るく元気に格好良く!」生きられそうではありませんか?!

                                    平成25年 6月



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        「人生の選択に正解・不正解はあるのか! 」
       
 


前号で「起きた出来事を偶然や運命と思うより、自分の選択した結果だと思えたら幸せ度にずいぶんと良い影響を与えるような気がします」とお伝えしました。
そうだとしたら、選択を誤らないよう慎重に考えて選択する事が大切だと思えてきます。
悪い事が起きた時、後悔しないようベストの選択をしようと考えてしまいます。
しかし、選択の誤りって本当にあるのでしょうか? 時々、良くも悪くも体験する必要があるからその選択をしたのではと思うような事が起きてきます。そんな時、考えてしまいます。

 そんな事を考えている時、観ていたテレビドラマの中で「恋の悩みに正解は無い!その人の選んだことが正解!」というセリフが耳に飛び込んできました。
そのセリフを聞いた時、自分の中で何かがはじけたような気がしました。
例え、目の前の恋に破れ傷付いたとしても、そこから何かを学び次に生かしていけたら、その恋は正解だったのでしょう。今、必要な事を学ぶ為の失恋だとしたら、その選択は全て正解!

 中古本の販売で上場企業になったブックオフ社長の選択の戦績は、2勝10敗だそうです。
2勝の内の1つが中古本の販売だそうです。10回も倒産しかけるような大きな失敗体験をし、そこから学び次に生かす体験をしたからこそ、中古本で上場企業にする程の大成功をしたのでしょう。失敗した時に大切な事は、自分の選択した結果だから責任は自分にあると受け入れ、1回や2回の失敗で諦めない。10回でも失敗して学ぼうという思いが大切なのでしょう。
 
 どんな体験であっても自分の選択した結果なのですから、前向きに受け入れるのが幸せへの第一歩。そして、その体験から必要な事を学ぼうとするのが幸せへの第二歩なるのでしょう。
思い通りにならないからと、ふて腐れたり落ち込んでいる暇なんてないのです。
忘れてならない事は、人間は必ず死んでいくのですから無難にうまく生きてもそれまでのこと。
生まれて来た一番の目的は心を高める事ですから、無難に生きる事より色々な体験をして、その体験を生かしステップアップして心を高めていく事が大切なのでしょう。

 そう思うと、人生の選択に正解・不正解はないのでしょう。あるのは起きた出来事・体験を生かせたか生かせなかったかにあるのでしょう。どんな体験であっても否定的に捉えるのではなく、辛かろうが苦しかろうが、今の自分にとって必要な体験だから選択した。そして、大切な体験だから選択し続けている。そう思えたら選択する事がずいぶんと楽になりますね。
選択する事が楽だという事は、生きる事が楽だという事に繋がっていくのでしょう。
 我が身に起きる出来事は、全て必要必然磨き砂と捉えられたら素敵ですね!

                                     平成25年 5月



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           「幸せ度を上げる為に大切なこと! 」
       
 


私達には日々、色々な出来事が起きてきます。その起きた出来事を偶然だと思ったり、運命だと思ったり、自分の選択した結果だと思ったりして、私達は翻弄されながら生きています。
偶然だと思うと、運の善し悪しでとらえて他力本願になりがちです。
運命だと思うと、どうにもならないことだから受け入れるしかないと受け身になります。
選択した結果だと思うと、良くも悪くも自分の選択した結果だから責任は自分にあると受け入れようと覚悟します。この「偶然・運命・選択」という思いが心の中で錯綜して、起きた出来事に幸不幸のレッテルを貼っているのでしょうか。

 今、各担当者がお客様に「あなたの幸せ度・満足度はどれくらいですか?」とお聞きしています。その目的は、人の幸せ度は何によって決まるのかを考えてみたいと思ったからです。
人は誰しも幸せになる為に頑張っているのに、その幸せ度は人によって大きな隔たりがあります。幸せ度を考える時に、我が身に起きる出来事を「偶然・運命・選択」という3つの思いでとらえると、幸せ度はずいぶん違ってくるような気がします。

 20数年前に学んだ「BE・DO・HAVE」という考え方をこの幸せ度にリンクさせますと。
HAVEは、これさえ手に入れたら幸せになれるという所有がベースになっています。
DOは、これさえ出来たら幸せになれるという行動がベースになっています。
BEは、所有や行動というような外的条件を付けないで、只、ありたい自分でいられたら幸せだと思う内的な心のありようがベースになっています。

 お金持ちなのに、地位が高いのに、したい事をしているのに幸せ度が低い人がいます。
欲しいものを手に入れたから、したい事が出来るから幸せになれる訳でもないようです。
確かに欲しいものが手に入った瞬間や、したい事をしている時は満たされるのでしょうが、その幸せを維持し続けようと思ったら、逆に苦しくなるのではないでしょうか?
所有や行動というような外的条件に左右されないで、内的なこういう自分でありたいと思う自分をコントロールしながら生きる方が、楽に生きられるのかも知れません。

 我が身に起きる出来事を偶然・運命と思うより、自分の選択した結果だと覚悟したら幸せ度にずいぶんと良い影響を与えるような気がします。人生はどんな出来事であっても、受け入れた分だけ幸せ度が上がり、受け入れられない分だけ苦しみが増すのですから。
 そして、欲しいものを手に入れたり、したい事が出来るから幸せと思うより、ありたい自分であり続ける方が、幸せ度を上げる為に大切なことのような気がします!

                                    平成25年 4月



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              「あなたの働く理由は? 」
       
 


先日、世代交代の時期に来たお客様の決算報告会で、次期社長に「あなたの働く理由は?」という質問をしました。社員全員で向こう半年ぐらい考え続けて欲しいとお願いしました。
この問いの答えは、生活の糧を得る為、家族の生活を守る為というような答えになるのが一般的でしょう。もしかしたらこんな問いすら、日々の繰り返しに押し流されて忘れてしまっているかも知れません。世代交代の時期に、次期社長以下全員に真剣に考えて欲しいと思います。

 他人に問うだけでなく、私自身への問いとしても改めて考えてみたいと思います。
働く理由のポイントは、難しい事は抜きにして3つ考えられます。
1番目は、その仕事が好きかどうか。
2番目は、その仕事が得意かどうか。
3番目は、その仕事に人はお金を払ってくれるかどうか。

 仕事が好きだから、努力する。努力するからうまくいく。うまくいくから得意になる。
得意になるから、又、好きになる。好きになるから問題意識が湧いて工夫改善をする。工夫改善するからうまくいく。そんなスパイラルの中でやり遂げた仕事だから、人は喜んでお金を払ってくれる。この3つのポイントは働く理由に欠かせない要素だと思います。(もし、生活の糧を得る為だけとか、人に認めて貰う為だとしたら、後々に人生を後悔する事になるでしょう)
 
 そして、仕事が好きになるには、自分を好きになっているかどうかという大前提があります。自分を好きでない人は、そんな自分が選んだものを好きになれる筈がないからです。
言い換えると、人は自分を好きになった分しか、他のものを好きになれないからです。
そして、自分を好きになる方法は、自分を大切に扱う事。自分を大切に扱う事とは、自分がしたいと思った事を言い訳しないで自分にしてあげる事。自分のしたい事を中途半端に扱っている人は、そんな自分を好きにはなれないし、そんな人の仕事に人はお金を払わないでしょう。

 どんな仕事でもイヤな事があるのは当たり前ですが、それを乗り越えられるかどうかは自分の大好き度にかかっているのだと思います。その大好き度は、繰り返しになりますが自分の心が喜ぶ事を優先して、自分を大切に扱っているかどうかにかかっているのだと思います。
自分を大切に扱うほど心が満たされ、心が満たされるほど自分を好きになる。自分を好きになるほど肯定感が強くなり、肯定感が強くなるほどイヤな事に振り回されなくなるからです。
あなたはイヤな事が起きても、振り回されないくらい自分を肯定していますか?
そして、一番大切な事ですが、今の自分をどれくらい好きになっているのでしょうか?
それを確認する為に、働く理由が存在しているような気がします。

                                    平成25年 3月



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      「うまくいってもいかなくても、それでいい! 」
       
 


私は今迄、問題が生じて不安になった時「今は大変だけど、うまくいくに決まっている!」と自分に言い聞かせて、今出来る事をやっていくしかないと頑張ってきました。
その結果、うまくいった時は良かった良かったと胸をなで下ろし、うまくいかなかった時は、機嫌が悪くなったり、自分のふがいなさを悔やんだりしていました。 そして、「結局はうまくいくに決まっているんだ」とか、「思い通りにならないのが当たり前」と自分に言い聞かせて、自分の中に潜んでいる怖れや怒り・自己否定の心を一生懸命打ち消して生きてきました。

 昨年の手術から3ヶ月が経過した今、微妙に心の変化が起き出している事に気付きました。
手術後意識が戻った時、指一本さえも動かす事が出来ないのに、生きている喜びをしっかりと噛みしめたあの時から、心の変化は起き出していたのでしょう。
喜びや怒り・哀しみや楽しみなんて、普通に何事もなく無事に生きている事には到底かなわないと思ったあの時から変化し出していたのでしょう。

 心の変化に気付かないまま過ごしていて、ある時「うまくいってもいかなくても、それでいい!」とつぶやいたことがありました。その瞬間、心がフワッと温かくなるのを感じました。
今の自分が出来る無理のない喜びの努力をして、その結果、うまくいってもいかなくてもそのまんま受け入れればいいんだと思った時、不安が弱まり穏やかになっている事に気付きました。

 そんな事に気付いた時を同じくして、テレビの特集「放浪する老人漂流社会」を観ました。
3ヶ月に4回も介護施設を移り変わらなければならない一人の老人をカメラは追っていました。その老人は、働ける時は約束を違えない誠実な運送屋さんとして評判の高かった人です。
いい加減に生きてきた訳でもないのに、介護施設を移り歩かなければならない状態に怒るわけでもなく「仕方がないですね」と、言葉少なに受け入れていました。
もし、受け入れられずに怒っていたら、苦しみが増え辛くなるだけなのだろうと思いました。

 人生はどんなに頑張っても、どうにもならない事ってあるのでしょう。
しかし、そのどうにもならない事は、その人の持って生まれた運命のせいだったり、自分の都合で期待するせいだったりするのですから、どんな出来事も受け入れるしかないのでしょう。
受け入れた分だけ幸せ度が上がり、受け入れられない分だけ苦しみが増すのでしょうから。
この先どうなるのかを心配するよりも、今の自分が出来る事・したい事をちゃんとやって、その結果を受け入れる。「うまくいってもいかなくても、それでいい!」と覚悟して生きる事は、「今を輝いて生きる!」事に繋がっていくのでしょう。

                                 平成25年 2月




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         「平 成 2 5 年 度 の 三 つ の テ ー マ ! 」
       
 


色々な事があった一年が終わり、新しい年が明けました。
私達は旧年をリセットして、新年を迎えるという良い習慣を持っています。
皆様におかれましては、どのようにリセットして新年をお迎えになられたでしょうか?
一年の計は元旦にありと申しますが、リセット後の一年の計はどのようなものでしょうか?

 あなたは今の生活・人生にどれくらい満足されていますでしょうか?
色々なとらえ方があって、満足度は人それぞれでしょうが、私達はともすると満たされている事は当たり前にして、不足に不満を抱き自分の都合の良いように変えようとしがちです。
でも、自分の都合で不足を求め続ける限り、心の中で葛藤が生じ心の安らぎは手に入りません。
心の安らぎがなかったら、地位やお金がいくらあっても幸せを実感する事は出来ないでしょう。

 私の今の生活・人生の満足度を分相応に考えますと、8割は満たされていると思います。
2割の不足を失っても、8割も満たされているのですから十分です。
不足の2割と戦って心の安らぎを失わぬよう、腹が立つ事やイヤな事は全部不足の2割のゴミ箱に放り込み蓋をしましょう。不足と戦うよりも満たされている事に感謝し、心の安らぎを優先しようと思います。今年の私の一つ目のテーマは、「不足の2割はいじらずに、満たされている8割に感謝し、その中で精一杯自分のしたい事をして楽しんで行こうと思います!」
  
 二つ目のテーマは、「期待する楽しみを手放さない!」です。
望んでも望んでも叶わないから望み続ける。只、それだけ、それでいい!
人は皆、生きてる限り叶わぬ望みを持ち続けて生きる生き物なのですから。(映画星守る犬)期待を裏切られる怖れに負けて、期待する楽しみを手放さない。
期待通りにならなかったとしても、期待を楽しんだ分だけ人生は面白がれたのだと思います。

 三つ目のテーマは、「自分に言い訳をしない!」です。
失敗したり、恥ずかしい事をしたりすると、心の中で言い訳をしている自分に気付きます。
どんなにいい訳をしても自分で自分を誤魔化す事は出来ません。言い訳すればするほど、自分が惨めになってしまいます。他人に対しては、誤解を解く為や相手を傷つけない為に仕方がないとしても、自分を守る為に言い訳をしない。どんなに無様であってもそれが今の現実の姿ですから、言い訳をしないでそのまま受け入れ、そこから一歩ずつ歩いて行こうと思います。

 この一年、この三つのテーマを実践できたら、幸せな一年を過ごせるような気がします。
新年が皆様にとりまして、豊かで幸せな一年でありますよう心から念じております。

                                   平成25年 元旦



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